Tatsのこと
神戸で生まれ、奈良で育ち、18歳からはほとんど東京に住んでいました。
私の本名は Tatsuo(たつお)ですが、three syllables(3音節)の名前はlazy Aussieには
発音しにくいようで、Tats(たつ)と省略されてしまいました。
ずっとコンピュータ関係の仕事をしていましたが、2002年にオーストラリア人のヘレンと結婚したので、
その11月、シドニーへ移住しました。
このサイトは、ヘレンが10年以上やっているホームステイを紹介するため、2005年に作り始めたものです。
Helenのこと
メルボルン郊外の農場で、5人姉妹の4番目に生まれ、小さい頃は、子羊にミルクをやるのが日課だったとか。
農場なのに女の子ばかり生まれて、両親はがっかりしていたことでしょう。
お祖父さんはフランスから、お祖母さんはドイツから移住して来て、
ヘレンでオーストラリア人としてやっと3代目です。
メルボルンで教師の資格を取り、20歳の頃、シドニーに移り住んで、幼稚園や小学校、
Special Education Centre 等で教師をしていました。
子供が3人(男1人、女2人)いて、皆近くに住んでいます。
まずはビザの取得 ― これがないとここで暮らせません
私がヘレンと結婚したのは2002年7月で、結婚式はシドニーの自宅でやりました。
8月にヘレンと一緒に日本へ行った際、Spouse Visa(配偶者ビザ)を申請し、待つこと2ヵ月、
やっと認可され、その年の11月末にシドニーへ移り住みました。
そして2年後の2004年11月、正式なPermanent Visa(永住権)が取れました。
これでもう面倒なビザの申請をしなくてもいいのでホッとしています。
どこに住むか? ― どこでもいいけど、ここがいい
私自身は別にどこに住んでも良かったのです。
東京でも奈良でもいいし、ニューヨーク、ロンドン、パリ、アムステルダム、バルセロナetc、
今まで旅行で行って好きになった街はいっぱいあります。
あるいは、いろいろな所を移動しながら住むという手もあります。
ヘレンの長女のエリザベスは、日本、ヨーロッパ、アメリカと渡り歩き長年住んでいました。
またヘレンのお姉さんの一人はリタイアした後、持っていた農場を売り払い、キャラバンを買って、
旦那さんと一緒にオーストラリアを旅していました。
私たちがもう少し若いか、年をとっていれば、そういう選択をしたかもしれません。
でもやっぱり二人ともシドニーが好きですし、今の家を改築するという、
ヘレンの長い間の夢をかなえるためにも、ずっとここに住むことにしました。
シドニーのいいところは、バランスの良さです。
世界各国の、その国の一番大きな都市で、オペラハウスと泳げるきれいなビーチの両方があるのはシドニーだけです。
都会的な文明と共に豊かな自然があり、暑すぎず寒すぎず、ほど良い気候に恵まれています。
もちろん近代国家として後発のオーストラリアには、長い時を経て醸成された独自の文化はまだ存在しません。
しかし、多様な人種とルーツを持つ文化が混合している状態自体が、ひとつの新しい文化と言えるかもしれません。
私たちは、ここに住んでいられることが幸せですが、いつでもどこへでも旅に出たいと思っています。
もちろん大好きな日本へも。でも私がへレンと一緒に住むのはここ、シドニーです。